1543(天文一二): 八月二十五日(西暦九月二十三日)ポルトガル人種子島漂流、鉄砲を伝えた。南蛮人渡来の最初。
1549: フランシスコ・ザビエル鹿児島に来る。キリシタン布教の初め。
1550: ザビエルが平戸に移り、山口で布教。
1551: 宣教師ウィレラが京都でキリシタンを布教。
1568: 京都に南蛮寺が建つ。
1569: 織田信長が宣教師ルイス・フロイスに面接。フロイスが京都に移住するのをゆるす。
1576: 宣教師ワリニャーニが来る。
1580: スペイン人が平戸に来る。イギリス船が平戸に来る。
1582: 少年使節をローマに派遣、ワリニャーヤ同行。織田信長暗殺(49歳)。
1584: ポルトガルの商船が平戸に来る。
1585: 豊臣秀吉関白となる。
1587: 六月秀吉がキリシタンを禁じた。
1588: 秀吉南蛮寺を閉鎖。
1590: ローマから少年使節が帰る。ワリニャーヤが西洋の活字印刷機をもたらす。
1592: 長崎奉行をおき、朱印船の制度を設ける。
1597: 慶長元年長崎で二十六人のキリシタン信者を処刑。
1598: 八月十八日秀吉没(63歳)。
1600: オランダ船リーフデ号豊後臼杵に漂着。イギリス人ウィリアム・アダムス(三浦按針)、オランダ人ヤン・ヨーステン乗組。
1609: 八月十五日(西暦九月十三日)オランダ東インド会社商館を平戸におく。オランダとの通商開始。カピタンの江戸参府はじまる。
1612: 徳川幕府はまず直轄領に命じキリスト教を禁止。翌年全国に及ぼした。
1616: 明の商船以外外国船が平戸・長崎以外に寄港するのを禁じた。徳川家康(75歳)没。
1618: 通商にかこつけてキリスト教を布教することを禁じた。
1623: 平戸のイギリス商館を閉鎖。
1624: スペインとの関係を断絶。
1630: 長崎へ輸入するシナ書のうち、天主教に関するものを禁止。
1633: 第一次鎖国令。カピタンの江戸参府はこの年から毎年となる。
1634: 五月長崎に出島をつくり外国人の居留地とする。日本人の外国往来、キリスト教信教を禁ずる。
1636: 第二次鎖国令。長崎出島完成。
1639: 第三次鎖国令(鎖国体制整う)。
1640: ポルトガル人六十一名を長崎で斬殺。
1641: 平戸のオランダ商館を長崎出島に移す。
1643: 六月十四日オランダ船が南部山田浦に漂着。
1649: 九月十九日オランダ医師カルペル・スハンブルヘルが来る。
1658: 八月十三日大村藩内のキリスト教信者六百三人を処刑。
1663: オランダ商館長ヘンドリック・インデイクが四代将軍家綱に『ヨンストンス動物記』『ドドネウス本草書』献上。
1690: エンゲルベルト・ケンペルが商館長附の医官として来る。
1693: 嵐山甫安没(61歳)。
1696: 本木了意没(70歳)、初めてオランダ語の解剖書を訳す。後藤梨春生。
1702: 吉益東洞生。
1705: 山脇東洋生。
1707: 十一月二十三日富士山噴火。宝永山ができる。
1712: 建部清庵生。六代将軍家宣没(51歳)。
1713: 新井白石『采覧異言』を著す。
1715: 新井白石『西洋紀聞』を著す。
1717: 八代将軍吉宗が一月参府の商館長にヨンストンスの『動物記』、ドドネウス『本草書』を示して質問したという。
1723: 前野良沢生。
1725: 新井白石没(69歳)。
1729: 平賀源内生。
1733(享保一八癸丑): 九月十三日杉田玄白生。
1734(玄白2歳): 『解体新書』の原本『ターヘル・アナトミア』刊行。
1736(玄白4歳): 柴野栗山生。
1739(玄白7歳): 中川淳庵生。
1740(玄白8歳): 青木文蔵・野呂元丈が吉宗から蘭語を学ぶよう命ぜられる。
1741(玄白9歳): 野呂元丈の『阿蘭陀禽獣虫図鑑和解』成る。
1742(玄白10歳): 野呂元丈の『阿蘭陀本草和解』初巻成る。
1743(玄白11歳): 三月江戸へ来たオランダ人に会い青木文蔵が『和蘭話訳』を書く。これより十数年毎年のように同様の記録を書いた。
1744(玄白12歳): 青木文蔵『和蘭和訳後集』を書く。青木文蔵『和蘭文字略考』成り官に上る。。
1745(玄白13歳): 八代将軍吉宗退職。
1747(玄白15歳): 青木文蔵の『和蘭文字略考』ふたたび成る。この春焼失のため再録。
1748: 玄白(16歳)がこのころから宮瀬竜門について漢学を学ぶ。
1749: 玄白(17歳)が西玄哲について和蘭流外科を学ぶ。
1750(玄白18歳): 野呂元丈の『阿蘭陀本草和解』この年で終わる。朽木昌綱生。
1751(玄白19歳): 徳川吉宗没(68歳)。
1754(玄白22歳): 山脇東洋・小杉玄適(京都)囚人の死体を許可を得て解体。
1751(玄白27歳): 山脇東洋『蔵志』刊。
1761(玄白29歳): 野呂元丈没(69歳)。
1762(玄白30歳): 合田剛が『紅毛医言』を著わす。オランダ医学をとりあつかった最初。山脇東洋没(58歳)。
1763(玄白31歳): 平賀源内の『物類品隲』成る。橋本宗吉生。
1764(玄白32歳): 平賀源内が火浣布を発明。
1765(玄白33歳): 後藤梨春が『紅毛談』を著わす。すぐに禁止。
1766: 玄白(34歳)オランダ商館長の江戸参府中、前野良沢につれられて大通詞西善三郎と面接、西に説き伏せられてオランダ語の学習を諦める。
1768(玄白36歳): 平賀源内テルモメイトル(今の寒暖計)をつくる。和蘭大通詞西善三郎没(52歳)。
1769(玄白37歳): この春玄白が吉雄幸左衛門に医学を学ぶ。玄白がオランダ外科医の刺絡を見て驚く。玄白が父の後を継いで小浜藩の侍医となり新大橋の酒井邸内に住む。玄白の父甫仙没(79歳)。青木文蔵没(72歳)。
1770(玄白38歳): 前野良沢が長崎へ遊学。河口信任が刑屍を解体。
1771(玄白39歳): 三月四日玄白・良沢・淳庵等が千住骨ヶ原で腑分に立会う。『ターヘル・アナトミア』の図が正確なのに驚き、帰り際これの翻訳の決意を語り合う。三月五日玄白・良沢・淳庵等が良沢の宅で『ターヘル・アナトミア』翻訳に着手。後藤梨春没(76歳)。
1772(玄白40歳): 河口信任『解屍編』刊。本木了意『和蘭躯内外分合図』刊。
1773(玄白41歳): 正月玄白等『解体約図』刊。『約図』刊行の頃『解体新書』の訳稿がほぼ成る。玄白結婚。前野良沢長崎再遊学。
1774(玄白42歳): 八月『解体新書』刊。
1775(玄白43歳): 十月玄白『狂医之言』を著わす。
1776(玄白44歳): チュンベリが江戸参府に随行、桂川甫周が面接し医学について質問。玄白が日本橋浜町河岸山伏井戸の新居に移る。平賀源内がエレキテルをつくる。田村藍水没(59歳,平賀源内の師)。アメリカ独立宣言
1777(玄白45歳): 賀川玄悦(産科)没(78歳)。
1778(玄白46歳): 大槻玄沢が玄白の門に入る。
1779(玄白47歳): 平賀源内没(51歳)。
1782: 玄白(50歳)が建部清庵の子由甫を養子とした(玄白伯元)。建部清庵没(71歳)。
1783(玄白51歳): 大槻玄沢の『蘭学階悌』稿成る。桂川甫三没 。桂川甫周法眼となる。
1785: 玄白(53歳)が藩主に従い小浜へ行く。帰路京都に立ち寄る。大槻玄沢が長崎に遊学。前野良沢の『和蘭訳筌』成る。
1786(玄白54歳): 玄白の実子立卿生。中川淳庵没(48歳)。
1788(玄白56歳): 一月二十日玄白の妻没(43歳)。大槻玄沢の『蘭学階悌』刊。
1789(玄白57歳): フランス革命。
1790(玄白58歳): 岡新左衛門没(55歳)。
1791(玄白59歳): 小杉玄適没(62歳)。
1792(玄白60歳): 宇田川玄随『西説内科撰要』を著わす。
1793(玄白61歳): 大槻玄沢の『瘍医新書』成る。
1795: 玄白(63歳)と建部清庵との往復書簡『和蘭医事問答』刊。
1797(玄白65歳): 宇田川玄随没(43歳)。死後安岡玄真を養子にした。
1798(玄白66歳): 大槻玄沢の『重訂』解体新書十三巻の訳稿成る。
1801: 玄白(69歳)『養生七不可』刊。玄白『鶴亀之夢』を書く。
1802: 玄白(70歳)『形影夜話』を書く。
1803(玄白71歳): 前野良沢没(81歳)。
1804: (玄白72歳)ナポレオン帝位につく。
1805: 玄白(73歳)が将軍家斉に謁した。宇田川玄真『医範提綱』刊。華岡青洲が初めて全身麻酔手術に成功。
1806(玄白74歳): 志築忠次郎没(47歳)。
1807: 玄白(75歳)『野叟独語』を書く。玄白隠居。山村才助没(38歳)。柴野栗山没(74歳)。
1808: 玄白(76歳)『犬解嘲』このころ成る。
1809(玄白77歳): 法眼桂川甫周没(59歳)。
1810: 玄白(78歳)『形影夜話』刻。
1813(玄白81歳): 宇田川玄真が蛮書和解御用に任ぜられた。
1814(玄白82歳): 『蘭学事始』を一応書き終わり、大槻玄沢に補筆をたのむ。
1815(文化一二乙亥)(玄白83歳): 四月大槻玄沢の補筆なり、『蘭学事始』成る。七月桐山正哲没。石川玄常没。
1816: 玄白(84歳)『耄耋独語』を書く。
1817(文化一四丁丑): 玄白新年書初に「医事不如自然」等を書き、別に「観潮桜」の大幅がある。
四月十七日玄白没(85歳)。